みちよポンのてきとーブログ

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好き好き大好き超愛してるに感銘を受けて

愛は祈り、僕は祈る

印象的な出だしから始まったこの本は、私が読んだ舞城王太郎の中でも一番ぐっとくる本でした。この本は、まだ荒い。だけどそこには何かしら原石のようなものがひそんでいる。

 

舞城王太郎は、比較的くらい文を書くことが得意であるかのような気がしています。しかし、世界の中心で愛を叫ぶのアンチテーゼとして出されたのでは?と言われてもいるこの本は、彼の叫びが、祈りが、愛がふんだんに盛り込まれている作品でした。

 

抽象的な文章と、パラレルな世界での話が錯綜するため、話の中身自体は難解です。作家である主人公があたかも自分の作品を描くかのように、様々な角度から愛を描きます。

 

時に報われず、時に命を落としながらも、ひとつひとつの話からは溢れんばかりの愛を感じることができます。

 

愛はこの作品にあるように、矛盾して、傷ついて、混乱して、悩んで、時には涙するものです。でも、何かしらまっすぐで確かなものがそこにはある。そんな私が思う愛の形に、この小説はぴったりでした。

 

こんなにも強く、がむしゃらに人を想ったことがあるだろうか。体裁を気にせず、条件も厭わず、ただまっすぐに。

 

愛は祈り。だから私は祈ります。届いてもいい。届かなくてもいい。届いたらいいなと思えるような微かな祈りではなく、ただ祈る。届くかどうかなんてここでは問題じゃなく、祈るということに強い意味がある。

 

ここに描かれている愛は、もしかしたら双方向ではないのかもしれない。でも、これだけ相手を思えるならば、きっとその愛は双方向的な要素を含んでいると思いました。